この記事は4部構成のシリーズ「期待値を図形的に解釈してみた」の第1部になります。このシリーズを通して二次形式で表される図形を詳しく調べていきます。
第1部ではそのために必要な線型代数学の知識を導入しています。といってもそれほど難しい内容ではなく、今後の表現の幅を広げるためのものなので身構える必要はありません。物理学科の学生なら授業で習うはずですが、多分他の専攻の学生は新出の内容だと思います。そのため本記事では必要となる知識をざっくりと説明するだけに留めています。
初回
これ
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ブラ-ケット記法を用いた線型代数学
ブラ-ケット記法の導入
何かベクトル $\boldsymbol{x}$ や変数をベクトルに持つ関数 $f_{(\boldsymbol{x})}$ でも良いのだが、これらをそれぞれ $|\boldsymbol{x}\rangle ,|f_{(\boldsymbol{x})}\rangle$ と表すことにする。このときこの表記はケットと呼ばれ、これらのエルミート(複素共役転置又の名を随伴)を $\langle \boldsymbol{x}| ,\langle f_{(\boldsymbol{x})}|$ と表すことにする。このときこの表記はブラと呼ばれる。これらはブラ-ケット記法等と呼ばれる。
ブラ-ケット記法によって2つのベクトル $\boldsymbol{x},\boldsymbol{y}$ の内積 $\langle x,y\rangle$ は
$$\langle x|y\rangle$$
と書かれる。この記法の良いところと言えば、例えば $x$ に依存する関数の内積
$$\langle φ_{(x)}|ψ_{(x)}\rangle \tag{1}$$
の中に複素関数 $E_{(x)}$ を挿入したもの
$$\langle φ_{(x)}|E_{(x)}|ψ_{(x)}\rangle \tag{2}$$
は
$$\begin{align*}
\langle φ_{(x)}|E_{(x)}ψ_{(x)}\rangle&=(\langle E_{(x)}ψ_{(x)}|φ_{(x)}\rangle)^*=(\langle ψ_{(x)}|\overline{E}_{(x)}φ_{(x)}\rangle)^*\\
\langle φ_{(x)}E_{(x)}|ψ_{(x)}\rangle&=(\langle ψ_{(x)}|φ_{(x)}E_{(x)}\rangle)^*=(\langle ψ_{(x)}\overline{E}_{(x)}|φ_{(x)}\rangle)^*\\
∴ \langle φ_{(x)}|E_{(x)}|ψ_{(x)}\rangle&=(\langle ψ_{(x)}|\overline{E}_{(x)}|φ_{(x)}\rangle)^*
\end{align*}$$
等と簡潔に式変形できるところにある。
ブラ-ケット表記による期待値の表現
連続的なベクトル値関数自身の内積が規格化されている場合、つまり
$$\int_{-∞}^∞\boldsymbol{\varphi}_{(x)}^*\boldsymbol{\varphi}_{(x)}dx=\langle φ_{(x)}|φ_{(x)}\rangle=1 \tag{3a}$$
か、或いは完全性を示す式
$$\int_{-∞}^∞\boldsymbol{\varphi}_{(x)}\boldsymbol{\varphi}_{(x)}^*dx=|φ_{(x)}\rangle\langle φ_{(x)}|=\boldsymbol{I} \tag{3b}$$
のときには
$$\langle φ_{(x)}|E_{(x)}|φ_{(x)}\rangle $$
は $E_{(x)}$ の期待値 $\langle E\rangle$ となる。ただし $\boldsymbol{I}$ を単位行列とし、多くの参考書やサイトでは恒等写像という意味合いから1としている。
このことから量子力学では期待値は取り得る値の目星を付けるために広く用いられている。
実感が湧かない読者のために連続的な実関数の内積
$$\int_{-∞}^∞ρ_{(x)}ρ_{(x)}dx \tag{4}$$
が規格化されていると考えてみよう。すると(4)式は
$$\int_{-∞}^∞|ρ_{(x)}|^2dx=1 $$
となる。これは正しく統計学における確率密度関数の積分であり、全事象を積分することで総確率1が求まる。よって統計学的な観点からは(4)式に関数 $E_{(x)}$ を挿入した
$$\int_{-∞}^∞ρ_{(x)}E_{(x)}ρ_{(x)}dx=\int_{-∞}^∞E_{(x)}|ρ_{(x)}|^2dx$$
とは関数 $E_{(x)}$ の期待値を示す。
量子力学では確率密度関数が実関数となるように共役な複素関数の内積を取っているのである。
演算子の期待値
関数だとなぜ内積に挿入したのか利点がよく分からないが、(2)式で関数の代わりに演算子(ここでは行列とする) $\boldsymbol{H}$ を挿入してみると、
$$\langle φ_{(x)}|\boldsymbol{H}|ψ_{(x)}\rangle \tag{5}$$
となる。一見するとただ演算子に変えて挿入しただけに見えるかもしれない。
この式はベクトル値関数 $|ψ_{(x)}\rangle$ であるケットに演算子を作用させたもの $|\boldsymbol{H}ψ_{(x)}\rangle$ に左からブラ $\langle φ_{(x)}|$ を掛けたと解釈することもできるが、ベクトル値関数 $\langle φ_{(x)}|$ であるブラに演算子を作用させたもの $\langle φ_{(x)}\boldsymbol{H}|$ に右からケット $|ψ_{(x)}\rangle$ を掛けたとも解釈することができる。このことから(2)式を変形させたように
$$\begin{align*}
\langle φ_{(x)}|\boldsymbol{H}ψ_{(x)}\rangle&=(\langle \boldsymbol{H}ψ_{(x)}|φ_{(x)}\rangle)^*=(\langle ψ_{(x)}|\boldsymbol{H}^*φ_{(x)}\rangle)^*\\
\langle φ_{(x)}\boldsymbol{H}|ψ_{(x)}\rangle&=(\langle ψ_{(x)}|φ_{(x)}\boldsymbol{H}\rangle)^*=(\langle ψ_{(x)}\boldsymbol{H}^*|φ_{(x)}\rangle)^*\\
∴ \langle φ_{(x)}|\boldsymbol{H}|ψ_{(x)}\rangle&=(\langle ψ_{(x)}|\boldsymbol{H}^*|φ_{(x)}\rangle)^*
\end{align*}$$
が成り立つ。
さて(5)式の $ψ$ を $φ$ に変えた
$$\langle φ_{(x)}|\boldsymbol{H}|φ_{(x)}\rangle $$
について、例により規格化条件
$$\langle φ_{(x)}|φ_{(x)}\rangle=1 \tag{3a}$$
が成り立つものとする。ここで演算子 $\boldsymbol{H}$ によって
$$\boldsymbol{H}|φ_{(x)}\rangle=E|φ_{(x)}\rangle \tag{6}$$
と表されるような複素数の固有値 $E$ が存在するとする。
つまり $\boldsymbol{H}|φ_{(x)}\rangle$ という線型変換において定値 $E$ を用いて $E|φ_{(x)}\rangle$ と表すことで、線型変換 $\boldsymbol{H}|φ_{(x)}\rangle$ が拡大率 $E$ による変換であることが分かる。このときの関数 $|φ_{(x)}\rangle$ を固有関数と言う。(6)式の両辺に左からブラを掛けると
$$\begin{align*}
\langle φ_{(x)}|\boldsymbol{H}|φ_{(x)}\rangle&=\langle φ_{(x)}|E|φ_{(x)}\rangle\\
&=E\langle φ_{(x)}|φ_{(x)}\rangle\\
&=E (∵ \langle φ_{(x)}|φ_{(x)}\rangle=1)
\end{align*}$$
を得る。
この結果から $|φ_{(x)}\rangle≠\boldsymbol{0}$ を満たすときに固有値 $E$ とそのときの固有ベクトル $|φ_{(x)}\rangle$ が存在するような演算子 $\boldsymbol{H}$ について、この演算子を規格化条件を満たす内積 $\langle φ_{(x)}|φ_{(x)}\rangle$ に挿入すると、その演算子の固有値が得られることが分かる。
よって $\langle φ_{(x)}|\boldsymbol{H}|φ_{(x)}\rangle$ で得られる値とは、不確かな演算子 $\boldsymbol{H}$ が線型変換 $\boldsymbol{H}|φ_{(x)}\rangle$ においてどんな量を持つのか具体的に可視化されたものとなる。これは正しく期待値 $\langle E\rangle$ である。
このことから量子力学では特に $\boldsymbol{H}$ の期待値 $\langle E\rangle$ を求めるということは
$$\langle E\rangle=\langle \boldsymbol{H}\rangle=\langle φ_{(x)}|\boldsymbol{H}|φ_{(x)}\rangle$$
を計算するということになる。(6)式は量子力学における時間依存しないシュレディンガー方程式となっている。そのため量子力学においてはこのブラ-ケット記法は欠かせない存在なのである。
詳しくは以下の記事
で説明しているので意欲のある読者は一読していってほしい。この記事では固有空間における縮退についても紹介している。
固有方程式・固有値についてはこちら
エルミート演算子の性質
さて演算子 $\boldsymbol{H}$ によって得られる固有値 $E$ は複数存在し、そのため固有関数 $E|φ_{(x)}\rangle$ も複数存在する。そこで(6)式は $i≠j$ の下で任意の $i,j$ を用いて
$$\begin{align*}\boldsymbol{H}|φ_i\rangle=E_i|φ_i\rangle\\
\boldsymbol{H}|φ_j\rangle=E_j|φ_j\rangle
\end{align*} \tag{6}$$
と書き表されるものとする。このとき例によって期待値を求めたときのように
$$\begin{align*}\langle φ_j|\boldsymbol{H}|φ_i\rangle&=E_i\langle φ_j|φ_i\rangle \tag{7.1}\\
\langle φ_i|\boldsymbol{H}|φ_j\rangle&=E_j\langle φ_i|φ_j\rangle=(\overline{E}_j\langle φ_j|φ_i\rangle)^* \tag{7.2}
\end{align*} \tag{7}$$
と表してみよう。
そこで更に(7.2)式のエルミートを取ると
$$\begin{align*}
(\langle φ_i|\boldsymbol{H}|φ_j\rangle)^*&=\overline{E}_j\langle φ_j|φ_i\rangle\\
∴ \langle φ_j|\boldsymbol{H}^*|φ_i\rangle&=\overline{E}_j\langle φ_j|φ_i\rangle
\end{align*} \tag{7.2.1}$$
となる。
ここで考える演算子がエルミート演算子である場合、つまり
$$\boldsymbol{H}^*|φ_i\rangle=\boldsymbol{H}|φ_i\rangle\\
∴ \overline{E}_i|φ_i\rangle=E_i|φ_i\rangle$$
が成り立つ場合には(7.2.1)式は
$$\langle φ_j|\boldsymbol{H}|φ_i\rangle=E_j\langle φ_j|φ_i\rangle \tag{7.2.2}$$
となる。よって(7.1)式、(7.2.2)式より、
$$\begin{align*}\langle φ_j|\boldsymbol{H}|φ_i\rangle=E_i\langle φ_j|φ_i\rangle &=E_j\langle φ_j|φ_i\rangle\\
∴ (E_j-E_i)\langle φ_j|φ_i\rangle&=0
\end{align*} \tag{8}$$
となる。よって $i,j$ によって固有値 $E_i,E_j$ が異なる場合には
$$\langle φ_j|φ_i\rangle=0 \tag{9}$$
となる。
(9)式を直交条件と言い、これと規格化条件(3a)式を組み合わせた
$$\langle φ_i|φ_j\rangle=δ_{ij} \tag{10}$$
を規格化直交条件と言う。特に固有値 $E$ が連続的に存在する場合には(10)式を自然に拡張して
$$\langle φ_k|φ_{k’}\rangle=δ_{(k-k’)} \tag{10亜}$$
とデルタ関数 $δ_{(k-k’)}$ によって書き表される。 $k$ を用いたのはフーリエ変換でよく $k$ が用いられることによる。
途中でエルミート演算子の場合には固有値の複素共役が $\overline{E}_i=E_i$ を満たすことを使用した。これは実数条件と呼ばれ、このことを量子力学的には物理現象が実数の測定値によって可視化されると捉えられることもある。
ちょっと休憩
この記事ではブラ-ケット記法による期待値 $\langle x|\boldsymbol{A}|x\rangle$ を紹介した。次回以降はこの期待値がデカルト座標系でどのように表現されるのか調べていこうと思う。
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